多分今年一番の贅沢(希望的観測)

きれいな水のつめたい流れ  つれづれノート(17) (角川文庫)

昨日今日突然亡くなった有名人が多く驚く。(本日朝刊・夕刊確認)小林繁心不全)、桑田真澄父(火事事故死)で驚いていたら、夕刊で浅川マキさんも・・と。浅川さんも急性心不全だそうだ。小林さんは50代、浅川さんは60代だが、突然亡くなるには若い印象。

とここまで書いて不謹慎ではあるが俺は自身の死に方としては突然死は結構あこがれている。苦しむ時間が(といっても辛いだろうが)短く、病気で長く患って死ぬよりまわりに苦しみを与えないのがよいと思う。(火事などはちょっと別例だけど)死ぬということが、とても怖かった時期があって、それは自分自身の存在が全く何もなくなってしまう怖さだったが、お化けの話などを聞くにつれ死後もなにかは残ると思えば怖くなくなった。俺はその恐怖からのがれるために霊の存在を大切に信じている。実際みるのは怖いので見たくはないがお化けはぜひいてほしいと心から思っている。先日、銀色夏生さんの「つれづれノート」の最新刊を読んでいて、銀色さんもほぼ同じ経緯で死への恐怖感を克服したときいて、とてもうれしかった。つれづれシリーズは銀色さんの日記ものだがいつもなんとなく自分と感性が似ている気がして愛読している。今回は他に「歯磨きを洗面台以外のところでする家族が本当にいや」という共通点もあった。うちは夫も娘も歯磨きを食卓やリビングなどあらゆるところで長々とやる。いつかこっちが食事をしている時に目の前で娘が歯磨きをしていることがあって本当にいやで「見えない聞こえないところでやって」と訴えたが理解してもらえず自分が変なのかと思っていたが、同様の感性のひとはやはりいるのだ。家族間の事って本当にささいなことがとてもいやなことがあって、自分がいやでも他のふたりが「別にいいじゃん」といったら、あーそうかーと思うんだけど、どうしても我慢できないことも多い。感性ってなかなか共有できない。死に関しては、夫と娘は今のところめちゃくちゃ恐れていて、夫は余命宣告もしてほしくないらしいが、自分はどっちかというとまあどうでもいいし、過去「がん」といわれた時も平気だった。まあ大した癌ではなかったこともあるけれど死ぬ時は死ぬと思う。自分ではなく家族に死なれたほうが何倍も辛いだろう。でもいずれにしてもあまり固執しないであきらめると思う。
 
娘は昨日から二泊で学校のスキー合宿。前回の泊まりは小学校6年の修学旅行でその時から始めた祭りだが、夫婦でカウンターで寿司を頂く祭りを昨晩開いた。この祭りには夫はあまり賛成しない風だが、俺は大賛成だ。5時まで仕事だったので、職場で寿司特集のdancyuバックナンバーと買い、帰りの通勤電車で寿司気分を十分盛り上げてから、近所の寿司やに向かう。暗い顔でほとんど自分で注文しない夫をしたがえ食いまくりました。最後の卵の寿司だけ勇気をだして頼んでいた(俺のエール付)夫―大丈夫か・・。
 
かわはぎの刺身(きもが非常にうまい)、かれいの唐揚げ(たっぷりの西洋わさびつきで驚くが、これが非常に香りよく本当にうまい。かりかりの骨まであますことなく食べる)、
いか、たこ、赤身、ヒラメ、しめサバのすし、うにとかっぱ巻きをこれまたどんどんと頼む日本酒で頂き、とても満足した。「今度は娘の中3の時の修学旅行の時にきます」というとカウンターの若い兄さんはとまどっていた。今回一番の贅沢はうに巻であったが、ねっとりと堪えられず、これくらいの贅沢はしょうがないと思う。小さい時から、父親に「お前は外食すると一番高いものを食べる」といわれ続けてきた俺である。しかし今回はかにも大トロもいくらも我慢したしえらいものである。目の前においしいものがあり、おいしいものは大抵高くそんなもの、わざわざおいしいものを食べにいっているのに我慢できるわけはないのである。酒は一番安い「立山」を熱燗で主に頂くが非常に香りよくおいしかった。日本酒って家で呑むとあまりおいしくないのに外では極上に感じられることが多いのはなぜだろうか。今日は、一日家にこもり、家にあるもので夕飯をつくって出費はゼロ。明日もゼロにしようと思う。これで昨日の贅沢もとんとんだ。えらい主婦だ。
 
そういえば「警官の血」ですが二代目まではすごく入れ込んで書かれていたように思えるが平成生まれの3代目の章で心理描写があまりなくなり、ちょっとつまんなくなったと思ったのは俺だけでしょうか。ちょっと期待外れでした・・平成は俺の時代でなかったからかもしれません・・今度は松本清張でも読むか・・。読んだことないけど・・。