ブルースおやじ

 入院中のベッドの上で、BB.KINGなどをケータイイヤホーンできいていたら、ブルースおやじを思い出した。かつて私が働いていた本屋の上司で、ブルースに憑かれていた。そのくせ酒が呑めない。
使えないおやじだ。


みためがなかなかかっこいい。野生のコヨーテみたいな風貌だった。腕組みしながら本屋の真ん中につったっているとそこだけ荒野の風がびゅーびゅー吹くような迫力がある。ありすぎて、接客とはいえない雰囲気を醸し出していたが。立ってる場所は音楽が流れるスピーカーの真下であった。仕事兼ブルース。そういう男だった。


私は働きながら、ちらちらその姿を眺めていて幸せだった。本をかついで走り回っている間にもっときけるポイントをみつけて教えてあげたりした。もちろんブルースおやじは即移動して、深くうなづいたりしていた。なぜ幸せだったかというとかっこいいおやじが好きだったからである。一部のお客もそうだったのではないか。だから怖い風貌だったが、それは立派な接客だった。まあ万引き防止の番犬でもあったが。


ある日、私が店で、白人のブルース(クラプトンだったかポール ロジャースだったか)をかけていると、非常に苦しそうにうつむいて、黙ってたっていた。個人の音楽の嗜好に立ち入らない、という節度と礼儀はもっている男だ。しかし私の同僚には、文句をいっていたようだった。


「白人のブルースなんてブルースじゃねえんだよ」
その声はしぼりだすようだったという。


私はもうブルースをきいたらそのおやじしか思い出さない。それほど彼はブルースを愛し、何も語らないのに、その情熱と愛をイタコのようにまわりに伝えた。私はブルースおやじが好きだったから、ブルースをたまにきくと恋の気持ちを思い出す。ある日ランチをふたりで食べていると、おやじは、焼魚の身をとてもきれいにはがしつつ、突然私の目をみつめつぶやいた。


「あのよ。今俺、好きな女がいるんだ」


40半ば、妻子持ち、野獣のブルースおやじのつぶやきは衝撃的だった。何と返事をしたかは全く覚えていない。しかし今でも私は反芻している。
あのランチ。あの言葉。あの焼魚。あれは私への恋の告白ではなかったかと。
ブルースをきくたび反芻している。野原に取り残されたひとりぼっちの牛のように。


ブルースおやじとは何年もあっていない。人の噂では、本屋を定年退職し、珈琲屋を開く予定だという。


本屋から珈琲屋。つくづく時代遅れな男だ。しかし私は酒をもってそこにいくだろう。そして彼が丁寧に入れた珈琲に酒をたらし、嫌がられるであろう。


そしてブルースをきくだろう。生きる目的がひとつできた気がする。