ブルースおやじ

 入院中のベッドの上で、BB.KINGなどをケータイイヤホーンできいていたら、ブルースおやじを思い出した。かつて私が働いていた本屋の上司で、ブルースに憑かれていた。そのくせ酒が呑めない。
使えないおやじだ。


みためがなかなかかっこいい。野生のコヨーテみたいな風貌だった。腕組みしながら本屋の真ん中につったっているとそこだけ荒野の風がびゅーびゅー吹くような迫力がある。ありすぎて、接客とはいえない雰囲気を醸し出していたが。立ってる場所は音楽が流れるスピーカーの真下であった。仕事兼ブルース。そういう男だった。


私は働きながら、ちらちらその姿を眺めていて幸せだった。本をかついで走り回っている間にもっときけるポイントをみつけて教えてあげたりした。もちろんブルースおやじは即移動して、深くうなづいたりしていた。なぜ幸せだったかというとかっこいいおやじが好きだったからである。一部のお客もそうだったのではないか。だから怖い風貌だったが、それは立派な接客だった。まあ万引き防止の番犬でもあったが。


ある日、私が店で、白人のブルース(クラプトンだったかポール ロジャースだったか)をかけていると、非常に苦しそうにうつむいて、黙ってたっていた。個人の音楽の嗜好に立ち入らない、という節度と礼儀はもっている男だ。しかし私の同僚には、文句をいっていたようだった。


「白人のブルースなんてブルースじゃねえんだよ」
その声はしぼりだすようだったという。


私はもうブルースをきいたらそのおやじしか思い出さない。それほど彼はブルースを愛し、何も語らないのに、その情熱と愛をイタコのようにまわりに伝えた。私はブルースおやじが好きだったから、ブルースをたまにきくと恋の気持ちを思い出す。ある日ランチをふたりで食べていると、おやじは、焼魚の身をとてもきれいにはがしつつ、突然私の目をみつめつぶやいた。


「あのよ。今俺、好きな女がいるんだ」


40半ば、妻子持ち、野獣のブルースおやじのつぶやきは衝撃的だった。何と返事をしたかは全く覚えていない。しかし今でも私は反芻している。
あのランチ。あの言葉。あの焼魚。あれは私への恋の告白ではなかったかと。
ブルースをきくたび反芻している。野原に取り残されたひとりぼっちの牛のように。


ブルースおやじとは何年もあっていない。人の噂では、本屋を定年退職し、珈琲屋を開く予定だという。


本屋から珈琲屋。つくづく時代遅れな男だ。しかし私は酒をもってそこにいくだろう。そして彼が丁寧に入れた珈琲に酒をたらし、嫌がられるであろう。


そしてブルースをきくだろう。生きる目的がひとつできた気がする。

読んだ本 6月一回め

 
あまりにもブログをほったらかしているので読書記録として使うことにした。月々管理費も払っていることだしもったいないしみっともないではないか。一昨日夜中に首尾よくかけたので。続けばいいなー

気高き昼寝 (講談社文庫)

気高き昼寝 天野作市
講談社文庫
発掘本(ベッド脇)

 元敏腕編集者であった本書の作者は今は重いうつ病であるという。物語の主人公もうつ病。そしてもう一人の主人公もうつ病。日雇いの仕事で生計をたてながら都会の片隅に生き底辺で仕事をしている。日雇いの仕事の続け方がリアルだ。西村賢太の「苦役列車」の中の日雇いは肉体労働者だったがこの本では例えばティッシュ配りである。西村の本では「頑張れば一日一万円かせげる」とあるが本書の日雇いではそのような稼ぎは無理だと思う。自分がそういう場所に身をおいてきたからわかるのだ。50前後でうつ病の主人公には肉体労働はできないに違いない。本書と比べれば苦役列車の19歳の中卒の日雇いの男はきらきらと光輝いているようにも思える。本当に重い文章が続く。
 しかしストーリーは一転、舞台はタイに。もうひとりの主人公の過去があかされていく。それは精力的で機転がきき正義感溢れた男の話だ。うつ病どころかたくさんの人間とかかわりあい、陽気なタイ人の部下達に慕われ、時にははったりをかまし、恋をし、リゾート地にもいく。タイの風土もふんだんに書かれ読者はその描写を愉しみながら主人公が次第に奈落につきおとされていくさまを読むことになる。人生にはいたるところにワナがあり、精力的な男がうつ病に殺されていくなんてことはまあありきたりなことでもある。そういう意味でこの本の主人公にある程度共感できる読者は自分の身にひきつけて読む。ひきこまれていくほどに自分もうつという世界にどっぷりつかりそうになる。
 そしてラストまで物語はなだれこんでいく。どこからが表でどこからが裏なのか最後の最後まで読者はわからない。読み終えたあとこの物語を好きになった読者はもう一度最初からある「線」をたどって読むことになるだろう。上質の推理小説の読了後熱心な読者はそのような読みなおしをする。そういう意味で本書はなかなかのミステリでもある。
 本書は読者を選ぶだろう。底辺をある程度味わったものには本書は身によりそうものであるような気がする。私はこの本をベッド脇でみつけたのである。いつ買ったのかも覚えていないし読みかけて放り出してあった。そのころは自分はこの本と友人になれなかったのだなと私は思った。本とつきあうのは本当に人間とつきあうのに似ている。

本書の酒傾向

主人公がうつなだけにほとんど酒をのまない日常。しかしタイの日々のあるシーンでは酒が重要な役割を。タイのクラブで現地支社に赴任している日本のサラリーマン二人が悪酔い。主人公達にからんである決定的な事件がおこってしまう。ここでは酒は悪者。海外赴任の男たち(特にえらい人たち)は自分の立場が不満でしばしば悪い酒の呑み方をし、弱い立場のものにからみまくるという。酒がこういう小道具に使われるのは本当に気分が悪い。北米のエンタメなどでも最近酒が悪者になっているケースが多いような気がする。ハードボイルドで小粋なアイテムとして使われていたのも今は昔で、全く酒をのまなかったり禁酒している探偵も多いのである。酔っぱらっているのが悪になっている傾向は寂しいことだ。

新潟酒愛にみちた本に書かせてもらった

 

 コレ 1冊持って新潟行くと最強だよ!という本「TO」1号が我が家に届いた。
副題は「酒と人」。新潟発で満を持して発売となった酒呑みには垂涎のムック(定期刊行物)である。
 なぜそんなステキな本が我が家に届いたのか・・話は1年前以上に遡る・・ある日「これから新潟で本をつくります!」という方からメールが届いた。その前に出していた俺の弱小酒呑み雑誌「本と酒と俺」(売り切れ)を読んで下さったらしく、「あのノリで何か書いてほしいので会えませんか?」とおっしゃる。新潟在住の敏腕デザイナーUさんと言う方だが、横浜の俺んちの近所にお姉さまがいらして近日こちらにいらっしゃるという。よくわかんないけどとりあえず酒呑みさんらしいので「ぜひぜひ!」と喜びお会いすることになった・・。
 焼き鳥やでお会いした。何を呑んだかは覚えてないが、どんどん呑んだ。「酒の本なので書いてほしいのです」とおっしゃるので「何書くんですか?」とおききすると何でもいいとおっしゃる。何か無謀なお話とも思ったもののとてもウレシく、砂肝をぐいと串から食いちぎり「喜んで!」とお答えした。10頁ほどくださるという。それから2軒めにもはしごした。今思うと近所の適当な店で申し訳なかったけど、最後には男の話とかもして
Uさんは剛気で美しい酒姫であった。心を割ってお話できてうれしかった。
 それから少し考えてやっぱ俺のテーマは「本と酒」なので気になる本屋を酒本がらみで巡り歩くことにした。高円寺「コクテイル代々木上原「ロスパペロテス」横浜・六角橋「猫企画」そして俺の書店勤め時代の先輩の店 清澄白河の「しまぶっく」である。どれも個性的かつ元気な古本屋さんで取材をうけてくださることになりとてもありがたかった。
「本と酒と俺」の表紙を撮ってくれたカメラマン、黒ちゃんと楽しく撮影めぐりをしてそれぞれの街で呑みまくった。昨年の夏のことであった。
 秋には新潟にもお招きをうけ、新潟の名書店「北書店」さんも取材した。というか書店内に「久保田千寿」と「〆張鶴」がどーんと用意され本棚眺めて呑みまくったんだよね。それは業界では「北酒場」現象といわれている・・北書店の佐藤店長はとびきり楽しくてパワーのある方である。ここに行くだけのために新潟に行ってもよいというほどいい本屋である。もちろん他にもナイスで謎な呑みやにも連れていって頂き俺の新潟愛はいやというほど高まった。初めて行った土地だったが、何か懐が深い・・街の人はおしゃれで優しくシャイでもあり、でも誇りに溢れている。そして街は空が美しくすこんと風景が抜けていた。俺なりに見た新潟を書いた。新潟在住のカメラマン 村井勇さんが広く抜けた空を背景にした萬代橋の写真をつけてくださった。
 そんでこの3月15日ついに「TO」は完成しました。おお!新潟の酒、酒場、酒人があますことなく魅惑的に紹介されている112P、フルカラーのとてつもなく立派な本であった。
新潟は成人の日本酒消費量が日本一だということで、なぜそうなのかが読み込んでくるとしみいってわかるのであった。そして本書に紹介されている小粋な呑みやたち!ここも、ここも、ここも!まだ行ってないぞ!この酒もあの酒も呑んでないぞ!また新潟に立ち向かわなくてはいけない・・と決意を固める俺であった。酒好き皆さまもぜひ本書片手に立ち向かって頂きたい。ちょっと俺の頁だけ浮いてますが・・結局21頁もかかせて頂いたんです・・。すんません・・。発売日の3月15日には新潟市内の書店では広く販売開始されたんですが、東京ではやっと「コクテイル」「ロスパペロテス」「猫企画」さん各店で販売スタートとなりました。そして、通販も始まったらしいので興味を持った方はぜひ
http://edelab.jp/
さんでご覧になってくださいませ。目次が読めるんですよね。

 ということで久々のブログ更新は思いきり自分の仕事宣伝になってしまったのであるがまあ俺の頁がなくても「TO」は日本酒好きには最強の1冊なのであるよ。新潟以外の書店さんにもぜひ置いてほしいである。興味のある方は honsakeore@gmail.com に連絡してね。
 2号以降もぐいぐいでるらしいので。あと「コクテイル」「ロスパペロテス」「猫企画」さんには部数に限りがあるのでお出かけの前には連絡してね。さて春でこれを機に何かが始まる予感です!

路上で本を売る

道に倒れて誰かの名を呼んだことはないのだが、それはさておきこないだ路上で本を売ったのだった。我が師匠「野宿野郎」編集長のかとうちあきさん(妙齢の女性)とリトルプレス界のプリンス「恋と童貞」編集長の小野和哉さん(妙齢の童貞)が、横浜・六角橋商店街の夜8時からの闇市で自作品を売るというので「俺も!俺も!」と無理やり参加したのだった。最初はささやかに応援団をするつもりでいたのだが、日が近づくにつれ俺も自作が売りたくなってきた。10冊しかないと思っていた在庫が12冊あることを発見し、「おおー」と5冊もちこむことにした。ついでに家や実家に累々と倒れ伏している古本達も売ってしまうことにしたのだった。
 ところでみなさんが路上で古本を売るとしてどういうかたちを考えるだろうか。売り場はおよそ一畳ときめられており、まあ基本的なかたちとしては段ボールをおいてそこに本をつめるという「一箱古本市」スタイルがあると思う。とりあえず段ボールは必要だろう、と2箱もちこむことにした。うちは夫婦ともに本屋勤務が長かったので(某夫はまだ勤めている)自慢じゃないが段ボール在庫は豊富だ。栗田・日販・大坂屋の各種取次の段ボールが家にごろごろしているのだ。もはやインテリアの一部として溶け込んでいるその3種の段ボールをみつめていると長い書店員人生の血と汗が染み込んでいるようで涙を禁じえない。今回は大坂屋の段ボールをチョイス。大きさが一番好きなのだ。自宅から東横線白楽駅まで電車でもってくのは結構大変であった。そんで六角橋商店街の古本屋・猫企画さんの前を通ったら「おお、大坂屋!」と猫企画旦那にほめてもらえたのだった・・。猫企画旦那もみためはあんなだけど(どんなだ!)実は京都のあの有名書店や全国区のあの有名書店に勤めていたこともあるんだぞ!お互いの汗と涙を思い出して(うんうん)と無言でうなづいた俺ら。そして俺は俺らのなわばりに段ボールをおくのだった。

ここで「本と酒と俺」の俺。「恋と童貞」のプリンス小野ちゃん。「野宿野郎」かとう師匠の並べ方を比較してみたい。俺はなんかやっぱ本屋的並べにこだわるのだった。段ボールをガムテで補強して逆さにおいて平積みの平台をつくったのだった。そんできれいに並べる。「本と酒と俺」島と「恋と童貞」島でふたつ。中心には俺らの雑誌をおきまわりに関連古本をおく。そんで猫企画さんにもらった小さな段ボールに文庫などを今度はつめておく。「おおー本屋ではないか!」と俺は自分で自分に感動したのだった。今回は頑張って古本はビニールパックしPOPもつけた。「酒本」「童貞本」「野宿本」と分野もわけ、まあそれは状態の汚さをごまかすこともあったのだったが、意外にまめな「自分発見」をしたのであった。それに対して小野ちゃんは古本に価格もつけてないのだった。
「えーどうすんの!」ときくと「まあ、あっちの言い値でいいですよ。いくらでもいいんです」なぜかふてくされた表情でうそぶいているのだった。単にずぼらともいえるし、「売る」ということが恥ずかしいのかもしれないと思う。そこに童貞を守る秘密があるのかとも思う。そんで本を並べたらどっかにいっちゃったのであった。意外なことに開店してすぐお客様が足をとめてくださる。そして最初のお客様は俺のきれいにかざった本には目もくれず小野ちゃんの、何か忘れたけど遠藤ミチロウとかロック野郎たちが表紙に並ぶ本を手にとるのだった。
「これいくらですか?」
だ、だから値段つけとけっていったのにー!!!パニクる俺。本来の値段をみると2千数百円の意外に高い値段がついていたので(えーっと・・千円くらい??)と思う。
「い・・いま・・この本だした人がいないんですよ。そんで値段つけてなくて・・」ともごもごいってるうちにプリンスが帰ってきたのだった。そんでひと言。
「あ、50円でいいっすよ」
ええー!!と驚く俺とお客様。
「そ、それはいくらなんでも」とおっしゃるお客様。
するとプリンスは続けて「あ、じゃあ500円で」。
こ・・こんな交渉があるのだろうか・・交渉というかもはや童貞天然としか思えないこのやりとり・・そしたらお客様「いいんですかー」と喜んでいるのだった・・交渉成立・・小野さんってさあ、前からよくわかんないと思ってたけどますますわかんないよ。
 
 そこに遅れてかとうちあきさんが到着したのだった。かとうさんは路上販売初体験の俺や小野さんと違い経験も豊富だ。その日も昼間谷中あたりで販売していて、当日は路上販売のはしごなのである。でもでも、もう我々のディスプレーがいっぱいでかとうさんの場所がないのだった。「あーどうしよー」と俺が困惑してると「だいじょぶだいじょぶ」と隣のレジャーシートすらひいてない道端に直接本を並べるかとうさん・・。「ええ!ええ!」と驚く俺をよそになぜかお客様も自然にすぐよってくるのだった・・。笑ってそのまま道に座り込む師匠に俺は脱帽したのだった・・しかも師匠はなぜかもう酔っているのだった・・
道に直接おかれたはっきりいって汚い本を熱心に選んでいる路上の客たちよ・・これこそが路上販売だったのだ!そして「かとうさん、かとうさん、俺何か敷くもの買ってきますよ!」はりきる小野プリンスが数分後もってきたものはなぜかゴミ袋だった・・「わーい、ありがと!」とにっこりする野宿姫・・俺の本屋魂なんてとても、ちゃっちいものだったのだ・・こうして衝撃の闇市本屋がスタートしたのだった・・。
 
ところで六角橋商店街は古きよきヨコハマがしのばれるしぶい由緒ある商店街なのだ。メインストリートの裏に車が通れない本当の市場通りがあり、そこに「闇市」としてたくさんの店が並ぶ。ビール立ち売りやつまめるものも売ってるし、中央には居酒屋もある!この5月を皮切りに8月以外の第3週目の土曜の夜に10月まで開催されるのだ。近所の花屋さんがたくさんまとめ買いしてくれたり、若い弁護士のあんちゃんが新書を買ってくれたり、童貞プリンスをいじりたおすアロハのおしゃれな不良おじさんがいたり、客筋の楽しいこと!ツイッターでお話だけしていたフォロワーさんもわざわざおふたりもきて頂き、緊張するやら感動するやらの俺であった・・。思えば六角橋は高校生から俺の憧れの土地だった。俺の通った県立高校は横浜とは名ばかりの北部の新興住宅地(うちの実家のすぐ近所)にあったのだが、クラスメートや先輩で、ちょっと不良っぽい本当のハマッ子たちが何人かいて彼らの多くはこの六角橋付近から通ってきていた。当時はやっていた長いスカート、細い眉の化粧、禁止されていてもつらぬいたパーマやリーゼント・・それらはみんな六角橋からきた。鞄をぱんぱんにふくらませていた、ださい女生徒の俺には彼らは憧れの星だった。特に同級生のとびきり美人の泉ちゃんがすきでした。泉ちゃんも俺をかわいがってくれた。あまりにもださいのでおもしろがってくれたのだった。泉ちゃんは今どこにいるのだろう。もしかしてこの闇市を歩いたりしてるんだろうか。路上で売ってるちぢみで手をべたべたにして、綿あめをつまみにビールをあおりながら俺の名前を呼んで走り寄ってきてくれないだろうか。そんな夢をみられる横浜・六角橋商店街。またくるぞー。
 
というわけで、「野宿野郎」をホームレス雑誌だと深く思いこんでえんえんと話し込む(でも絶対買わない)おじさんをしり目に店じまいし、俺らの約2時間のショップは終わりをつげた。2時間のわりにはたくさん本が売れ、かとうさんが200円の値をつけたいんちきヌーブラも売れ、それぞれの自分本は完売し、いくばくかのおこづかいを得て満足した3人でした。(少なくとも俺は。)ご来店のみなさま本当にありがとうございました。またいつかお会いしたいです。そんで出店料はたったの1000円なので、皆さまにもぜひ出店をおすすめしたいです。この闇市を15年しきってきたというエライおじさまにもお会いすることができ、もしかして何か企画が広がるかもしれないという噂もあります。エラいおじさまはいきなり「恋と童貞」小野さんに「あのね、風俗嬢と童貞コンパ対談企画やらない?俺いろいろコネあんのよ」とすごいかましをぶちあげるナイスさであった・・おびえていたようにみえたが、小野さんはうけてたつのだろうか・・柱のかげからみてみたい。
 
<おまけ情報>
あと意外にうちらの店が盛況だったのは、路上にたつ男性客を魅惑する、胸を大きくあけたかとうさんのコスチュームに要因があったという噂もあります。小野さんは「あの胸で8割がたお客がきました」と頬を紅潮させて断言していた・・。ずっとみてたらしい・・「おい、童貞!あのおっぱい大きい姉ちゃんになんとかしてもらえ!」っていってたお客様もいたしな・・実際に道にたってかとうさんをみて俺は驚愕したのだったが、(立ってみおろせないとわからないしかけ。絶妙に谷間がみえる)あれがテクならリトルプレスだけではなく女道でも師匠とよばなくてはいけない・・かとうちあきさん・・一生ついていきます・・。あとアイスとビールありがとうございました・・今回は緊張であまりぐいぐい呑む余裕がなかった俺だったが次回は一升瓶ラッパ呑みのパフォーマンスしたいです・・。

古本&マッサージ店「猫企画」店内こたつで酒を呑む小野プリンスと「猫企画」ご夫婦。

これからは歩く人生


 
春のぽわんとした光と風の中を歩いてみた。近所の川べりをどんどんゆく。サイクリングロードと名されていた道は、たくさんのジョガーや自転車野郎や自転車婦人もいく。どんどんどんどんぬかされて、本当はとぼとぼと歩く。歩いて5分で伴歩者が「休憩!」という。ワインの缶3本とチーズを持たせているので。多分重い。しかし無視して歩き続ける。川を覗きこみながらいくと菜の花があちこちに咲いている。空の青、散らばる花の色、川の音、そんなものが身体にしみいるようだ。ああ、そんな年ごろなんだな。生きるのが切ないんだ。若いときは景色なんてみちゃいなかった。空が青かろうが白かろうが、風がふいていようが雨がふっていようが、どうでもよかったんだ。野菜の味もわからず、ただただ恋や作られた音や映像や活字をおいかけていた。主に恋だ。圧倒的に恋をおいかけていた。なんだったんだろう。ケモノだから発情してあちこち走り回っていたんだ。今はおとなしいもんだ。そして風や光や色をありがたいと思う。生きることがただ切ないんだ。

 風が強い。この風を怖がってこのへんから逃げる人もいる。しかしもう発情期は終わったので俺らはびくともしないで笑いながら歩くんだ。これから恋をする人たちはこの風をさければよいと思う。でもうちらの娘はその恋を失いたくないから遠くにいきたくないと泣くんだよ。そんなもんだよね。人はホームを離れたくないんだ。暴力的にホームを失ってしまったたくさんの人を思う。だからいっそう切ないんだ。とりあえず自分なりに遅くてもどんどんどんどん歩く。春の中を歩くんだ。歩けるうちに。

 30分歩いていよいよワインタイムだ。川べりの階段にすわる。もんしろちょうがたくさん飛んでいる。オーストラリアからきたワインの缶をあける。
 「うーん。まずい」
ワインを缶にいれちゃだめだよね。なんか苦いんだ。でも酒だからおいしいふりをしなくちゃね。俺はロゼ 伴歩者は白でカンパイだ。小さな鳥が水辺を歩いて虫をつついている。そこにカラスもよってくる。水は流れている。そういったたくさんの蠢きが愛おしい。酒がまわってきたのかな。まずくても酒はいいなあ。はるばるオーストラリアからきたのだもの。大事に呑んであげたいよね。とくいくい呑む。チーズをかじりながら。


いつまでもいつまでもこうやって黙って座ってられる。俺はどうしちゃったんだろうな。
そんな年ごろなんだな。と川べりで思った。呑んで少し軽くなった荷物をさげてまた歩き出す。でも身体が重くなった。向い風がとたんにきつくなった。
 1時間歩いて「ここはどこ」と川を離れたら、車でほんの10分のところだった。これからは歩く人生だな。と帰る道で思った。でも帰りはバスにのった。空は暮れていく。まずい缶ワインはまだ赤が残ってるから、酔いがさめたらまた夜中あたりに呑もう。窓から夜の風を眺めながら。

そして今呑んでます。

ご報告です

 すみません。簡単ですがいくつかの本屋さんから告知してくれと言われているので。
極私的雑誌「本と酒と俺」ですが数店舗品切れになっています。そして俺にも手持ちがないので再販でもない限り入荷はしません。今つかんでいる在庫なしは「リブロ池袋店」さんと「しまぶっく」さんです。どちらも
できてすぐおいてくださった本屋さんなのでとても残念だ。再販・・あるんだろうか。でもこの地震でバイトは長期にわたり自宅待機だし、生活優先でとてもそんな贅沢はできそうもない。2号もいろいろプランはあったけど「出版社と酒」「本屋と酒」その2本柱でつくってみたかった。

 でも今となってはなんというかもっと大きな力に立ちふさがれてそんな事、あえていうならそんな瑣末なこと考えることもできないと思ってしまう。自分が好きだったこと、大切にしてきたこと、ふざけながらも真面目に考えていたこと、大きな悲劇の前で、みんな握りしめた手の中の砂のように 音もたてずさらさらと流れて消えていく。それを自覚するととても残念でとてもさびしい。みんながそんな気持ちでいる現実がある。

 まあ俺の雑誌のことなんてともかくとして、世の中は、就職とか進学とかもっと大事なことにも立ち向かえなくなってる人たくさんいるだろう。被災されて物理的に難しい方たちはもちろん精神的にとてもチャレンジできないと考えている人もたくさんいるはず。でも・・なんとかのりきってほしい。特に精神的なことだけでうちのめされている方は、チャレンジするこころがあっても物理的にできない方たちの分までもなんとかのりきってほしい。と心から思います。そして物理的に厳しい方々・・せめて気持ちだけは強くもって頂きたいです。身体とこころ。どちらが欠けても厳しい。でもどっちかがあってとりあえず生きてれば何とかなる。なんともなんねえよ!と罵倒されるかもしれないがここでは「なんとかなる」とあえて言ってみたいです。

 言葉はむなしいが言葉で生かされるものもある。声を出そう。泣きたいときは泣こう。怒りを誰かにぶつけてもいい。そしてたまには酒を吞もう。今はそんなこと考えられないかもしれないけど。笑って酒が吞める日がくることを信じて進むのもいい。まあこれは酒好きな方だけに通じる方法ですが・・「酒」のところを自分が一番好きなものにおきかえて、酒バカのことを怒ったり笑ったりしてエネルギーを出してください。

 みんなと吞みたいよ。

ネオンは赤い提灯ひとつで充分だ。

地震が起こってからたったの三日。それなのに自分の中にものすごい価値観の変容がおこっています。それについていくつか。

 これまで自分は「節電」とかあまり考えてこなかったんです。正直。寒さ暑さに弱くてクーラーがんがんつけてたし、自分の生活を快適にすることしか考えてなかった。でも原発の事故みて心が震えた。ここでメルトダウンしたら福島という県は壊滅する。住民にとって悲惨な事故になることはもちろんだけど、放射線汚染で豊かな農産物・魚類のイメージも底までおちて長い将来にわたり生産物が壊滅的な打撃をうける。素敵な酒蔵、温泉などの観光すべて駄目だろう。そしてそれは福島だけにとどまらない。近隣県、そして南下して東京や私の住む横浜なども例外なく汚染が進む。安心して子供が産めない。少しくらい雨にぬれても平気という気ままができない。風におびえる。暗い空を見上げる。人々は南へ南へと逃げる。

以前から原発には恐怖をもっていた。でもそれが節電とうまく結び付かなかった。今回の計画停電などでそれが自分の中で結びついた。「これだけ必要だけどこれだけ足りない。だから前もって節電する」という俺にとっては明確な理論。原発事故で(まあそれだけじゃないと思うけど)不足した電力は店の営業時間を縮小したり電飾をなくしたりする社会の協力と、ささやかながらの我々の意識で「想定外」にカバーすることができたのだ。だったらこれからもそれを続けて、原発はすべてやめよう!心からそう叫びたい。コンビニ深夜営業もたくさんの自動販売機も華やかなネオンもいらない。ネオンは酒場の赤い提灯一個で十分だ。なんだったらこれから一生計画停電してもかまわない。病院や信号や電車やどうしても必要なものに電気を最優先させて無駄なものを失くす努力を日本全体で始めたい。「危険はない」という言葉は嘘っぱちだって前からわかっていた。ただそれから目をそむけていただけだ。こんなに恐い思いをしたんだもの。それを未来に生かすことがしたい。そして福島原発はこれ以上の惨事をひきおこさないよう心から願う・・今の時点では。
この文章があとから見て空しいという状態にならないことだけを祈る。

それから仕事。東京郊外の横浜に中学校から住んでいた俺は、20歳のときから東京に通って働き、それが半ば当たり前だった。1時間から1時間半の通勤は電車で本が読めるとそれほど苦痛でなかった。でもそれは毎日が砂上の楼閣だったのだ。電車が全く機能しなくなるということ。そしてそれが今後もいつ起こるかわからないということ。そんなダメージで俺の労働意欲はみごとなまでにそがれてしまった。歩いていける範囲というのが自分にとって基本的な生きる範囲だという意識を全くなくしてしまっているのが現代人だろう。小さな子供を電車で1時間以上かかる名門学校に通わせたり・・特に俺の住んでる地域ではそういう人も多い。今回のことで「何がおこるかわからないのに」と愕然とすることになっただろう。のどもと過ぎれば忘れてしまうかもしれないが、今の気持ちを忘れずにいて、できたら少しずつ生活もかえていきたい。本は通勤電車ではなくくつろいだ空間で読めばいいのだ。夜はたき火をすればいいのだ。ろうそくの灯を愉しめばいいのだ。そんな感じ・・。日本人は勤勉だというが今回のことは相当都会で働く人の勤労意欲をそいでいるだろう。そしてそれはわがままでないと信じたい。恐ろしいまでの満員電車や毎日どこかしらでおこる人身事故や。「なんかおかしいな」という違和感がこの3日ではっきりしてしまったはずだ。営業時間を短縮したり 生産もできなかったり、物流事故にさまたげられて商売ができなかったり、それで立ち行かなくなっていく会社もたくさんでてくることだろう。失業者はまたまたふえるだろう。本屋なんてこんな状態が続けば立ち行かなくなるさいたるものではないだろうか・・悲しいけど・・・。

今まわりの店からいろいろなものが消えている。農地、漁場 工場 そして道路や鉄道・・すべてが壊滅的な打撃をうけたのだから。我々を支えてくれているものはひとつひとつが人の手で作られひとりひとりが疲れる運転をして重い思いをしてここまで運んできてくださっていたのだということも全くもうわからなくなっていた。自分の手でつくりあげて消費してるものなんて何ひとつないのだ。大好きな本の紙にしても酒の一滴にしても。「店にいけばそこにある」それは当たり前ではないのだ。そしてもしかしたらこれからどんどんそういう時代になるかもしれないのだ。そう考える。それも自分にとっては大きな転換点だ。

どうしたらいいかわからないけど、少しづつ考えていくこと。そしてひとりでも多くの命が救われ東北が復興することを祈ること。それしか今はできないけど、そうしながら進んでいきたい。この数日酒はまずい。またうまい酒がのめるよう。本を読みながら呑気に。そんなことも祈ってます。それは自分の心の問題かもしれません。

最後になりますが、日夜とわず過酷な労働を強いられている病院関係の方々、自衛隊の皆さま、被災地にいる自治体の皆さまに深い感謝と尊敬をささげいつになく真面目なこのブログを終わります・・